筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。

 

四話 碑文谷呑川柿の木坂支流 70年~65年ほど昔

大原町会の地形は東西を呑川支流の谷に挟まれた大原の台地上に所在します。
まずは東側の柿の木坂支流の記憶。
40年少し前に暗渠化され目黒区部分からは緑道になっているが、それ以前は目黒世田谷境のユニクロ通り(東が丘1-36、地図②)で世田谷区側の暗渠(直径50センチくらいの土管)がいきなり開渠になり川となって、東が丘1・柿の木坂3・2・1と東根地区を流れ都立大学駅付近で駒沢支流を合流してきた深沢本流と一緒になり緑が丘~蒲田~羽田へと。
その呑川ですが上流の東が丘1あたりでは幅2メートル深さ1メートルちょっとほどだったかな、流れは底の部分にせいぜい15センチほどで土手になっており子供には飛び越すことはできなかった。

水流・水質は? 暗渠から流量はチョロチョロでもなくザ-ザ-でもなくほどほどで薄茶色の多少どぶ臭のある水で、上質な流れではなかったのはこの川に水源や上流はなく川の起点は生活排水が主なのだったかもしれない。
強いて探せば上馬交差点脇の宗円寺さんあたりに多少の水源はあったのかな。(地図①付近)
その先付近を品川用水が流れていたが、すでに用水としての役割を終えた溜まり水程度のドブ川で、用水の落水が呑川の水源ではないと思う。
ただ、ひどい大雨の時には下流の柿の木坂方面で何度かの浸水がおきた。
流れの中は生物の生息にはほど遠い環境で魚影など見かけたこともなく、いたとしてもザリガニ程度だったか。
土手にはタンポポ・ツクシなどが自然のまま生えていて滑りやすく、小学校低学年の観察の授業で川に落ちた子もいた。

*ちょうど川の始まるユニクロ通り際に相田?会田?さん名の製粉工場があり通年むぎ焦がしの匂いが漂っていた。
*東根地区とは昔のこの地域における総称(大字)ですが、そもそも東に向け台地が谷に下っている斜面を指す言葉が【東根】だそうです。
*品川用水 武蔵境で農業用水として玉川上水からの分流し世田谷・目黒から品川区まで、当地では駒沢から上馬~野沢~品川用水の流れていた上馬(246と環七の交差点)の橋を旭橋といいます。
昭和20年代半ばには役わりを終え埋め立てられたが、当時上馬~野沢竜雲寺間は用水沿いにびっしりと商店が並び、ところどころに橋が架けられ「野沢銀座商店街」と称しとても賑わっていた。戦後まもなくは賑わいのある商店街には本家もビックリの銀座がついていて、こちら方面では「戸越銀座商店街」が有名。現在も「野沢銀座」やその2・3先に「水車橋」と名残のバス停名があります。

資料は先人の残したものやネットからも、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。

昭和22年頃の航空写真と現在の地図との比較です、1上馬の宗円寺付近が源流? 2開渠は一番奥のポール付近から 3緑道石碑