古老の書付け
筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


 

六話 飯縄(いづな・いいづな)大権現 70年ほど昔~
東が丘2のこどもアトリエさんの前に所在する飯縄大権現。
名前から長野県飯縄山発祥の信仰なのでしょうか。
幅2m 奥行15m位の参道の奥に小さいので社ではなく祠と云うんでしょうか、きれいに手入れがされ祀られております。
大原町会内は昔からの家は主に小杉・栗山・新倉・根岸の分かれの各家で、ほとんどが農業を営んでいたようです。
旧家の裏庭とかそれに続くに畑などに祠があったことが記憶の中にあります。
この権現様もたぶんN家で管理の祠でしょうか。
この飯縄大権現のほかにも現在別のN家裏庭にも祠が祀ってありこれはお稲荷さん系統、近隣では東が丘駐在所の少し北側の畑(このブロックは全面K家一族の所有する畑だった)の片隅にも70年ほど前には祠(航空写真の赤枠内)が所在し、東根地区では他所にも同様な祠が所在しておりました。

* 先人が残した書付にはいづな大権現について下記記述が。
この一帯の小字は東梶屋敷で元禄年間(1700年頃)梶原姓の武士が土着し相当大きな屋敷があり子孫は根岸を名乗ったらしい。
屋敷の裏に塚を設け権現さまを祀り「いづな大権現」と申した。
そこには直径三尺ほどの檜がありが大正6年に枯れたが切り株は現存している。
膝等足部の痛みにご利益があり一日10人~15人と多くのの参詣があり、参詣人の線香の火で祠が焼けたこともあった。
小字 池淵(八雲5華屋与兵衛付近)には弁天が祀られており⒋5軒ほどの農家があったが、祠を含む池を畑に変えたところ不幸が続いて弁天を祀り直した。
以上確証はありませんが。

資料は先人の残したものやネットからも、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。