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2021年4月11日

古老の書付け 号外

筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。

 

号外 電通八星苑 70年前~
大原町会に隣接する電通のグランドをご存じですか?(世田谷区駒沢1)
(株)電通グル-プが保有する電通八星苑で駒沢公園や駒澤大学にも隣接しております。
最近この施設を業績がらみの資産見直しで、不動産業者(相手会社名非公開)に売却した模様です。
今後大規模な開発が行われることと思いますが、本体に対し周辺道路が狭く当地にも工事期間中、完成後も多大な影響が出ると考えます。
今後の進捗状況は説明会等含め判明した情報が入り次第皆様にお知らせいたします。

その八星苑ですがこのあたりには珍しいある意味歴史的な建物を含む広大な施設で、近代建築の三大巨匠の一人あの帝国ホテル旧本館に携わったフランク・ロイド・ライトの手による邸宅が現存しており、その建物を含む8,000坪以上の敷地に広大な運動施設や園芸農園も併設されており、正門は自由通りの一本西側の道路突き当たり。
ライトの作品は「20世紀建築作品群世界遺産」に4邸が登録されており、その方の作品がご近所にあるとはとはすごいですね。
邸は1917年(大正6年)建築で、当時の帝国ホテル支配人林愛作氏の依頼により自邸として建築されたそうです。
施設はここ5年以上使用されていない様子でいずれはと思っていましたが、再開発されるとこの建物も消えてしまうのでしょうね。
一時は駒沢大学へとの噂もありましたね、駅からも近く余計なことだけど200億は軽くオ-バ-でしょう。
子供のころセミ取りに入ってよく追い出されあまり好印象は残っていないけれど。
施設は公開されておらず外からの写真ですがライトの作品をどうぞ。

又、駒沢公園通りには三越俱楽部名の三越百貨店厚生施設があり、陸上競技用トラックなど設備されていたが、1970年代には三越エレガンス・三越迎賓館シルバ-ハウスに変わり、現在は駒沢大学深沢キャンパスになっています。

資料は先人の残したものやネットからも。間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。

 

昭和22年頃の航空写真と現在の地図との比較です。

右側が東が丘2-14、左側が電通グラウンド(大正末年頃の写真と思われます)

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2021年4月4日

古老の書付け 三話

筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。

 

三話 富士山の絶景 70年~65年ほど昔
ビルやマンションからは今でも眺望できる富士山、でも地上から富士山が見える場所はメッタないでしょう。それが東京医療センタ-交差点から見える富士山。
こんな風景持ってる町会は都内にあまりないはず。
70年ほど昔の冬は今より気温がずっと低く、交差点から見る富士山は今と違って銀杏並木も左右のマンションそして中央の歩道橋・道路標識など周りに遮る物もなく、丹沢山塊の上に今の何割も大きな雄大で凛とした雪山の姿を現していた。
駒沢通りは医療センタ-交差点から先は今の半分以下の道幅の道路で、歩道橋手前のゴルフ場跡(荒野?)の中を碑文谷呑川駒沢支流が横切っていて、この川がほぼ目黒・世田谷を分けていた。
交差点の先は舗装は施されてなかったと記憶している。
近年TV・新聞で駒沢公園でのニュ-スが出るたび〈世田谷区の駒沢公園〉と出るが、ご承知のようにメインスタジアムの中央を昔駒沢支流が流れここが区境で、目黒区の縄張りも多いのに〈世田谷区の駒沢公園〉とはあまり気分がよろしくない。

おまけの富士山絶景
246の大坂上から大橋に下る目黒川に向けての坂、玉電の一番前に乗車していると、前方やや右手に大きな富士山がぽっかりと浮かんでいるように望見できた。
子供のころは景色なんて興味なっかたけどここだけは印象に残っていて、玉電に乗るときはいつも先頭に乗車していた。
ここは坂を下る手前右手に中将蕩の工場があり薬草のにおいが濃く漂っていた。
(株)ツムラのことで中将蕩(湯)は本来婦人薬だそうで、それが入浴剤のバスクリンにつながっているらしい。
今でも薬草をふんだんに使用してるのかな、それならヘタな温泉より効果ありそうだけど。

ついでに温泉について一言
みんな大好きな温泉、割合はわからないけれど各地の温泉で循環濾過・加温・加水している宿は多い。
源泉の温度が高く加水して適温にする、あるいは温度が低く多少加温する等はまだしも、主流は源泉の湯量不足を補い且つ湯質保持ため、消毒用塩素を投入し循環し同時に濾過して湯質を保ち、中には源泉はもちろん温泉の給湯配管もなくタンクロ-リ-で源泉から運搬し貯湯、それを循環ろ過・加温・加水している宿もあると聞く。
少ない湯量でのかけ流しでは泉質を維持できないのはよくわかりますが。
ましてやポンプを使わず自噴泉でかけ流しなんて夢のまた夢、めったにない貴重で稀少な温泉です。
以前お邪魔した箱根の温泉など内湯は井戸水・露天風呂は温泉と正直な表示があったのに、3~4年後再訪したら内湯も温泉の表示がされていた。 いったい何なのだろ!
筆者のかけ流し温泉の見分け方は単純に湯舟から湯があふれ出ているのが本物、吐出口から一定量の湯が浴槽に注ぎ込まれているのにちっともあふれないのは循環濾過。
温泉宿って景色・温泉・部屋・食事が4本柱だからそれほどこだわることもないんだけど。
脱線ついでに、世田谷区含む城南地域や川崎・横浜でも深くボ-リングすれば低温の温泉が出るようですが、その場合はコ-ラ色の湯が多いみたいですね。

資料は先人の残したものやネットからも、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。

 

昭和22年頃の航空写真です、現在の地図です、赤丸の位置が「東京医療センター前」交差点です。

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2021年3月20日

古老の書付け 二話

筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。

 

二話 お産婆(おさんば)さん 80年~60年ほど前

芝道(福田通り・今のユニクロ通り)に伊倉助産院の看板を掲げた戦前からの助産婦さんがいらした。
当時はたいがい自宅にお産婆さんに来てもらいお産をしたようで妹二人を含めお世話になり、下の妹の時など祖母があわただしく湯を沸かしていたことなどかすかな記憶の中にあります。
近所の子供も伊倉さんにお世話になった子供も多かったのだろう。
その伊倉助産婦さんですが後年道で会うたびに「あら!○○ちゃんずいぶん大きくなったわね」と大学生になってからも声をかけられ多少の恥ずかしさと、同じくらいの感謝でビミョーな気持だった。
なにせ母親より先に私の顔見てるんだから。
でも近頃はほとんどが病院で、自宅出産など皆無で看取りもほとんど聞きませんね。

*芝道・福田通り・ユニクロ通りとは(時代とともに呼び方も変わります)
246より一本南側の道で駒沢で246から斜めに分岐し自由通りに出、ユニクロの脇を目黒(大原町会)・世田谷境を通り野沢方面から水車橋そして駒沢通り方面に。
古書によると近郊農家が野菜を東京市内に販売のため明治~昭和初期には港区芝方面にはこの道をよく使っていたようで芝の増上寺に関係する道。
親福田(67代 赳夫)子福田(91代 康夫)と二人の内閣総理大臣を輩出した、福田家のお住まいがある名所になってもおかしくない福田通り。
けどこれに関するTV番組など見たことないし今はユニクロ通りって云うのかな。

福田さん親子も知名度はアメリカのブッシュ親子にはかなわないですよね。
親福田さんが総理就任時は話題になった明治維新から100年をちょっと過ぎたあたりだったでしょうか。狭い道なので門前が人と車で窮屈そうでした。
今から3年前にはもう明治150年が過ぎました。時の移ろいとは・・・・ですね。

注 戦前とは昭和20年(1945年)の終戦以前を指します。
資料は先人の残したものやネットからも、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。

 

昭和22年頃の航空写真です、赤丸の位置が芝道沿い伊倉助産院があった所です、今ではすっかり変わっています。

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2021年2月14日

古老の書付け 一話

筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。

 

一話 古河屋(こがや) 70年位前

東京医療センタ-交差点から深沢方面に20メ-トルばかりいった右側、現在の大刈込の中に古河屋という酒屋があり町内中心に御用聞きにも回っていた。

古河屋の看板からたぶん茨城県古河市の出身の方だったのでしょうか。

ゴルフ場で遊んだ後(住民は駒沢公園のことを当時ゴルフ場と呼んでいた)子供たちは「井戸使わせてください」と店の横にある井戸で泥んこになった手足を洗い水を飲んだが、夏場はとても冷たく気持ちよかった。

尚、古河屋さんの縁者の方は現在も当地にお住まいです。

やはり町内を回っていた上馬の豆腐屋さんは上総屋だったので千葉県出身の方かな。

資料は先人の残したものやネットからも、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。

 

昭和5年頃、現在の駒沢公園周辺地図です、当町会とゴルフ場、厚木街道(246)との位置関係が見て取れます。

 

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