筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


十五話 自由通り・駒沢通り路線バスとバスガール 60年ほど前

明けましておめでとうございます、本年もよろしくお願い致します。
日本史の上では明治維新から太平洋戦争敗戦までが近代、敗戦から現在までが現代とされているようで、今年は近代が77年間そして現代になり77年目になるそうです。
毎話近代生まれの昔話ばかりで恐縮ですがご辛抱願います。

ところでバスガ-ルさんとバスガイドさんとは違いますよ。
バスガ-ルさんはかって存在した女性の職業で、路線バスに乗務をしていた車掌さんのことです。
今、このあたりのバスは車両前方のドアが開き現金とかカ-ドで乗車し、ブザ-を押し中程の扉が開きそこから降車します。
でも昭和39年東京オリンピック(1964年)ちょっとあとまでは路線バスは車両中程に乗降口があり、乗務員も運転手と車掌の二名乗務で車掌さんは女性でした。
しかし1970年代には運転手だけのワンマンバスになり、車掌さんも路線バスから姿を消しました。
主な業務は乗降口の開閉(もちろん手動)、行き先や次の停留場の案内と乗降客の確認、バック時の誘導や車内でのキップ販売、入鋏等でした。
当時近所の若者には田園調布⇆渋谷路線には美人車掌が多いと評判で、その中でも特に○野○子さんは最上位ランクで、彼女の勤務シフトを研究していたお馬鹿さんもいた。
でも筆者だけは知っていました群馬県出身で大岡山駅そばの東急社員寮に住んでいたことを、彼女は幸せな人生を送っているでしょうね、昔のバスはよかったな。
大多数の方がそんな歌知らないと云う昭和30年過ぎに流行った初代コロンビアロ-ズの「東京のバスガ-ル」はバスガ-ルを歌ったものでバスガイドのことではありません。

昭和20年代後半には自由通り・駒沢通り・もちろん玉川通りにも路線バスが運行されておりました。
自由通りを走る田園調布⇆渋谷間の路線は昭和30年頃にはすでにあったと思う、このル-トは東急バスの主要路線のようで現在でも大型で新しい車両が投入され運行本数も多い。
駒沢通りにはこちら方面では今は全く見なくなった都バスも走っており、確か桜新町に折り返しスペ-スがありそこから真中、国立第二病院で右左折し駒沢通りに入り恵比寿→天現寺等を経由し東京駅丸の内口が終点でした。同ル-トでで桜新町⇆恵比寿間の路線も記憶があります。
玉川通りには等々力起点で駒沢を右折して玉川通りに入り渋谷→六本木右折→虎ノ門経由で東京駅八重洲口までの路線もあり、両路線とも相当な長距離路線だった。
他にも玉川通りには多数の路線がありました。

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