筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域や当時の世相等)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


二十話 大原歳時記(弐) 70年前頃

中秋の名月(十五夜)
だいぶ前の話ですが9月10日は中秋の名月で満月でもありました。
夏が過ぎ空気が澄んで月が一番きれいに見える頃との定義ですが、近年は中秋どころか盛夏と晩夏の中間っての感じでいずれにしても夏。
現在では一ヶ月ほどあとの十三夜がベストでしょうか。
お月見の風習が残っていた低学年の頃、ご近所で数軒のご老人宅ではまだお月見のお供えをしていたし(すすき・だんご・さつまいも等)「子供に団子を盗られると縁起がよい」との話もあり、それを良いことに十五夜にちなんだ15個のお供え団子から2~3個をいただいた。
翌日お年寄りに「おだんご持って行ったの○○ちゃんでしょう」「うん」等とニコニコ顔で会話した記憶があります。
今年は湿気も多く月がぼやけてこんな写真が精一杯で、上を向いて月を撮影していて感じたことは町内の空がずいぶん狭くなったなと、月の出時刻から一定の時間が経たないと月がなかなか見えないし、見上げる空は普段気にならなかったがこんなに電線だらけかと。
現在駒澤大学駅あたりから大原町会方面を見ると駅前ビルの解体で空がすごく広いが、新ビルが建ち上がるまでのチョットの時間の眺めでそれまでのお楽しみ。
70年前の町内はほとんどのお宅が平屋で2階建てのお宅がポチポチ、国立第二病院や小・中学校を含め3階以上の建物はなかったと記憶してます。
日の出から日の入りまで太陽が見えたお宅もいっぱいあった筈、何も感じなかったが当時の空はとても広かったのでしょうね。

11月8日は皆既月食で大勢様がご覧になったと思います。
この日は9月の中秋の名月と比べ天気もよく空気も澄み又、月の上がる場所や角度もよく数時間に及ぶ太陽・地球・月が一直線に並びおまけに天王星までが月に一時間ほど隠れるという惑星食で442年ぶりの天体ショ-でした。
442年前は西暦1580年(天正8年)でこの時の惑星食は土星で肉眼でも見え、記録にも残っているそうです。
この皆既月食時、織田信長は46歳でライバル武田信玄・上杉謙信もこの世には無く、日本の中央部をほぼ制し安土城も完成した絶頂期ですが、2年後には本能寺の変で明智光秀の謀反にあい自害した時代です。
次の皆既月食+惑星食は332年後だそうで私たちの10世代~12世代あとの皆様の時代です。
地球とか日本そして町内はどうなっているんでしょうかね?

資料は先人の残したものやネットから、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。
古老故の記憶違いやダブりなども同様に願います。