筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域や当時の世相等)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


二十一話 東京の真冬日  70年前~

真冬日とは一日の最高気温が0度未満の日のことだそうです。
今朝(1月25日)は寒かったです、天気も良く医療センタ-交差点まで富士山を見に行こうかなと考えましたが寒いのでやめました。
マスコミが云う「10年に一度の寒さ」とか「史上最強の寒波」は大げさにしても。
最低気温が-2.9度で久々の大寒らしさで起床するのに気合いが入りましたが、70年程前はこのくらいが当たり前でもっと寒かったかもしれません。
思い出しても住宅は木枠にガラス一枚のすきま風が入りそうな窓、屋内も障子やふすまで(両方とも基本、木枠に紙を貼っただけの物)断熱効果などほとんど期待できない仕切りで家の中で空気が動いている感じ。
暖房は主にこたつであとは火鉢、寝るときは湯たんぽを使用して勉強するときだけガススト-ブをつけてくれた記憶がある。
朝の通学時の思い出としては道路も未舗装部分が多く、バリバリ霜柱を踏みながら特に東根公園は麦畑で10センチほどの霜柱を踏むのが楽しかったが帰りは溶けてドロンコ。
この寒さは20世紀中は少しずつ緩んではきたがそれなりに続いていた、しかし21世紀に入ってからはどんどんと温暖化。
今から40年前頃までは朝、道路の水溜まりはすぐに凍ったし車のフロントガラスはカチカチに凍りつき溶けるまで走れなかった、通りがかりに見る碑文谷公園や渋谷の松濤鍋島公園の池にも氷がうっすらと張っていた。

それで東京の真冬日ですが大手町の気象庁で観測開始以来明治時代に3日・昭和に1日の計4日だけだそうです。
今日だって朝は冷え込みがきつかったけれど日中は4度まで上がり真冬日にはほど遠かった。
その4日の中の貴重な1日を体験しているのですが全然記憶にありません。
その日は1967年(昭和42年)2月12日で今から56年前、東京の最高気温が-0.2度でした。
その頃は寒さが当たり前でそのため記憶に残らなかったのかもしれませんし、人は暑さより寒さに鈍感かもしれません。
たとえば気温+35度と45度は生きるか死ぬかの大違いですが-35度と45度は「すごく寒いな~」程度の感じ方かもしれません。
奥多摩の山中では現在でも真冬日がありそうですが、大手町では5回目の真冬日はこの先江戸期にあったようなミニ氷河期でもこない限り無いと思います。
軽井沢や飛騨高山の観光地では真冬日が例年同様一定日数起きている様ですが。

資料は先人の残したものやネットから、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。
古老故の記憶違いやダブりなども同様に願います。