古老の書付け
筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域や当時の世相等)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


二十三話 区議会議員  70年以上前~

今年4月に目黒区議会選挙があり新人議員も多数当選され、その代わりに古参議員の落選もありメンバ-もだいぶ入れ替わりましたし女性議員も増えました。
戦後20回の区議選があり延べ800人近くの区議さんが誕生している中、大原町会内にお住いの方からの区議さんはただのお一人も誕生していないし、そもそも立候補された方すら記憶にありません。
資料によると最近でも町内の人口は4000人を上回り、まして昭和の時代は家族も多くたくさんの皆様がお住いでした。
戦後第一回の区議選が昭和22年でそれ以来76年間こんな事ってあるのでしょうか。
今回次点と25票差で当選された議員が東が丘2丁目在住との噂もありましたが隣の芳窪町会内の方でした。

以下全くの個人的コメントですが・・・・
地域選出区議会議員がナシと云うのも困るけど、今回も大原町会内の伝統が守られてよかったのかも、区内にはあわせて大小82の町会・自治会がありますがこのような所は珍しいのでは。
数百世帯程度のこじんまりした町会地域でも区議さんは誕生しています。
政治意識は高いけど多分投票率は低そうなご当地の特色そして美点で、区議さんには目も気持ちも向かずそれに関しては控えめの方が多いのでしょうか。
それが大原の伝統的な文化そして風土かもしれません。

でも歴代目黒区長は戦後現青木区長で六人目ですが、そのうちお二人は大原町会にお住いの方でした。
二代目君塚幸吉さんと三代目塚本俊雄さんでお二人併せて32年目黒区の舵取りに尽力されました。
現在もお二人のお子様やお孫さんは町内にお住いです。
この時代まだ区役所は現庁舎に移転前で中央町にあり手狭で暗い感じでした。
旧区役所を記憶の方も今では少数派でしょうか。(2003年移転)
ちなみに衆議院議員は町内に過去お二方お住いでした。

資料は先人の残したものやネットから、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。
古老故の記憶違いやダブりなども同様に願います。