筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


十三話 玉川電車(玉電)と真中停留場 其ノ弐  70年前~

真中ってご存じですか?
そうです、246と自由通りの交差点にあったのが玉電の真中停留場で、大原の住人の皆様がここから渋谷や都心方面に出るのに利用していました。
地名(住居表示ではない停留場周辺の総称)も交差点名も真中だったんですが、今はほとんど通用せずタクシードライバーさんに「真中までお願いします」「は~?」です。
ですが12、3年ぐらい前までは246交差点の表示板は駒沢大学駅前でなく【真中】だったんです。


今ではだいぶ遠くまで〇〇〇駒沢大学店とか△△△マンション駒澤大学と呼称していて真中と付くお店や集合住宅はアッという間に無くなりなりました。
今では東が丘二丁目でも駒澤大学名の新築建物がチラホラ、八雲五丁目も浸食されるかもしれません。
駅名の底力でしょうか、真中が付いていたらお客さんも入居者もいなくなくなりますね、オシャレさも感じませんよね。
それだけに【マルエツ真中店】は貴重です。しかし洋服の青山からユニクロまでの再開発で、マルエツさんも新しくなって営業始めたら真中店を名乗るのかな。
マルエツ真中店の契約はあと一年と少しほどだそうです。
246のEssoガソリンスタンドもまだ【真中SS】で、他に真中ビルが一棟現存してます。真中荘とか真中アパ-トの表札をだいぶ前に2,3見かけたことあるけど、もう真中は絶滅危惧種です。

そもそも真中と停留場名をつけたのは
①渋谷と二子玉川の中ほどだから。
②停留場付近の土地はほとんどが眞井(さない)家と中村家の土地で眞井と中村から真中。
いろいろ説があるようだが確定した説はないようです。
三菱UFJ銀行ができる前は八百半という眞井さんが営む八百屋さんだったし、中村家は確か松之木質店を営んでいた大地主さんで現在もあちこちに中村駐車場や松之木名のマンションなど見かけるし、芝道の駒沢寄りに開放されてる松之木都市林は中村家の庭。
70年前の停留場周辺には真中真栄会という商店街があり日用品は何でもそろったが、当時商店会長だった下駄屋さん(靴は扱っておらず下駄と草履だけ)そして鍛治屋さんもあり、お父さんと息子さんで炉とふいごを使い作業してました。
親子でトンチンカン・トンチンカンとたぶん近郷農家の鋤・鎌・鍬など、もっと前には大山道を行く馬の蹄鉄など製作していた農鍛治だったんでしょう。
でも昭和30年前には下駄屋さんも鍛治屋さんも時代の流れでなくなりました。
真中で今から70年前から続いているお店は、桝屋酒店・安達豆腐店・場所は変わったがフクシマ理髪店などですか。
桝屋は店の端に立ち飲みスペ-スがあり仕事帰りのお父さんたちが乾き物で一杯やっていたし、他二軒あった酒屋も同様に夕方は賑わっていた。 小学校入学前後の薄い記憶の中には駒沢大学駅(きらぼし銀行)のところには真中××館名の映画館があったが出火で全焼し、その後焼け跡ではサ-カスや浪曲の興行なども行われていた。(72~73年前の話です)
映画館は三軒茶屋には4・5軒、上馬にもありました。

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