2022年4月29日

町会よりお知らせとお願い

第67回大原町会定時総会開催中止のお知らせ

日頃より町会活動にご理解とご協力をいただき感謝申し上げます。
新型コロナウイルスの感染者数は高止まりが続き、感染収束にはしばらくの時間がかかりそうな状況の中皆様いかがお過ごしでしょうか。
町会におきましては例年5月に班長の皆様にご出席いただき総会を開催し、皆様に前年度のご報告及び今年度の議案等ご審議いただいておりますが、皆様の健康と感染拡大防止そして会場の利用制限等により 第67回大原町会定時総会(令和4年度)の開催をやむなく中止といたします。
議案審議は例年総会にて班長よりの審議・承認をいただいておりますが(出席者の過半数賛成にて)今年度は皆様に回覧にて資料をご覧いただき、書面にてのご審議をお願いすることにいたしました。
各ご家庭に総会資料の回覧をお願いする時期が来ましたらホームページ上に専用のお問い合わせコーナーを設置いたします、回覧板掲示のQRコ-ドよりご意見やお問い合わせをお寄せください。
皆様のアドバイス等お待ち申し上げます。

新回覧板と町会費納入のお願い

町会では新型コロナ感染拡大防止の徹底をはかるため旧回覧板を廃棄し、目黒区町会連合会と共同企画の抗菌素材でアルコ-ル消毒やお湯洗いができる新回覧板を制作し2年間休止していた回覧板を再開いたしますので、従来通りの扱いよろしくお願いいたします。
又、5月半ば以降に令和4年度町会費の納入を各班長よりお願いいたしますので短時間の面会で済みますようご用意お願いいたします。

令和5年度よりの町会費改訂と大原町会規約改正について あらかじめのお願い

町内には防犯カメラが23台設置済みで犯罪の抑止・犯人の検挙に非常に有効な手段となっております。
治安のよい大原町会内といえども自転車盗を含め犯罪は発生します。
ここ一年ほどでも軽微なものから交通事故の原因究明まで12件のSDカ-ド開示請求があり(警視庁・所轄では碑文谷署・世田谷署・荏原署など)ほとんどが犯人検挙・特定に至りました。
中には警視庁特殊詐欺検挙対策チ-ムが画像を元に犯人検挙に至った例もあります。

防犯カメラ23台のうち令和5年には17台・令和7年には6台の更新時期を迎え多額の費用が予定されます。
又、カメラ稼働に伴う東電及びNTTへの電気料金・電柱使用料等も値上がりして町会会計を圧迫しており、その他の経費もほとんどの項目で支出の増加が見込まれております。(現在ご負担いただいている町会費は50年前と同額です)
皆様方におかれましても諸物価値上がりのこの時節、とてもつらいお願いですが諸事情ご賢察の上どうぞご理解を賜りたくお願いを申し上げます。
それに伴う規約改正も委員会を設置し作業中となっております。

大原町会

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2022年4月26日

防災「よろず相談窓口」開設のお知らせ

防災担当より皆さまへ

日頃より防災活動にご理解を賜り、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。

この度、防災に関する「よろず相談窓口」を開設いたしました。
備蓄や避難など、不安に感じられることがありましたら、お気兼ねなくご相談して頂ければ幸いです。
(投稿は匿名可/ご回答はメールで行う旨、ご了承ください。)

なお、多くの方から寄せられたご照会事項につきましては、本ホームページを通じて共有させて頂きます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

以上、防災担当

 


以下のお問い合わせフォームよりご連絡をお願い致します。

 

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    送信完了いたしましたら数分以内に自動配信メールが届きます、自動配信メールが届いていない場合はメールアドレスの誤記入または迷惑メールフォルダに入っている場合があります。

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    <個人情報の取り扱いついて>
    ご連絡いただいた個人情報は町会運営にのみ使用し、第三者に個人情報を開示・提供することはいたしません。

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    2022年4月16日

    東根小学校で鯉のぼりの掲揚

    4月16日(土)東根小学校で「鯉のぼり掲揚」が校庭で行われ、大小様々な鯉のぼりが大空へ舞い上がりました。
    鯉のぼりは5月13日まで、子ども達の健やかな成長を願い校庭の空を元気に泳ぎます。

    また、鯉のぼりは劣化などにより数が不足しています。
    ご家庭で不要となった鯉のぼりをご寄付頂けましたら幸いです。
    こちらまでご連絡ください、どうぞよろしくお願い致します。

     

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    2022年3月28日

    古老の書付け 十七話

    筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域や当時の世相等)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


    十七話 国立東京第二病院 73年前頃から

    大原町会の中で日々を過ごす気持ちの良さはは町内が安定した地盤上にある、そして家々も密ではないなどと環境面の安心感もありますが、それにもまして駒沢オリンピック公園と東京医療センタ-が所在する、さらに十中と東根小も町内に含むこともあるのでしょうか。
    地震等原因で大火災が起きたとき火災がおさまるまで待つのが避難場所。
    避難場所は駒沢オリンピック公園
    災害で家屋の倒壊・火災などにより自宅での生活が困難な時に利用するのが避難所。
    避難所は東根小学校と第十中学校
    最近では倒壊や火災に遭わず自宅で生活が可能なときは、避難所を利用せず自宅でとの在宅避難が推奨されております。
    そのためにも軽い傷の治療用品やお薬そして最低4~5日分の水と食料など、各ご家庭でのそれぞれご準備お奨めします。
    そして災害拠点病院の東京医療センタ-、普段はお世話になっておりますが災害時は災害拠点病院に指定されており、治療は命を考慮した「助けられる命は全員助ける」選択になります。(トリア-ジ)

    大原の中央、小字東梶屋敷あたりに海軍軍医大学校として1884年(明治17年)に設立され、その後1945年(昭和20年)に国立東京第二病院、1998年(平成10年)に国立病院機構東京医療センタ-と名称を変更しながら発展し現在では高度総合医療施設として又、災害時の拠点病院として地域医療の核になっています。
    都内の陸軍・海軍の病院としては新宿区戸山に旧国立東京第一病院の東京国際医療研究センタ-(陸軍)、世田谷区大蔵に小児医療の国立成育医療研究センタ-(陸軍)、中央区築地に国立がん研究センタ-(海軍)等があるようです。
    当敷地内には国立病院機構本部や東京医療保健大学も所在し、子供の頃第一病院の先生は東京大学医学部、第二病院の先生は慶応大学医学部と聞かされてましたが、現在もその流れは続いているようです。

    国立東京第二病院で受診経験お持ちの方もだんだん少なくなりますね。
    戦後の施設としては知っている限りでは現在の建物は三代目、最初の記憶の外来棟(二階建て)は自由通り「駒沢公園東口」から入って左側にあり入院棟は渡り廊下で結ばれた敷地内に点在しており、一番北側には結核専用病棟もありグランドや畑もあった時代で病棟は旧海軍病院そのままって感じ。
    二代目はだいぶ南寄りに建築され多分1964年東京オリンピック前後だったと記憶していますが。
    そしてもっと南に寄り現在の三代目が。
    自身それぞれの時期に入院経験がありますが順調に回復しました、昔から名医がそろったレベルの高い医療施設と思います。

    昭和35年頃までは戦争で負傷された傷病兵の方々も敷地内で生活しておられ、白衣に松葉杖や眼帯姿で玉電真中から電車に乗り渋谷ハチ公前などでアコ-デオンやハ-モニカを演奏してました、今で云うと投げ銭を得ていたのでしょう。
    又、自由通りに面した公園駐車場の中に傷病兵のための義肢工場があり、型を取るためでしょうか石膏の手や足が並んでいたが昭和25年頃だったでしょうか、火災を起し炎と黒煙がすごかったのをが記憶にあります。
    世の中何でもアリの時代だけれど戦争だけはご勘弁を願います。

    東根小学校のすぐ脇には小型のプ-ルがありよどんだ水が入っており小道を隔てた場所に小屋があり子供たちは解剖室と呼んでいた。
    噂ではプ-ルの中はホルマリン液で解剖した物体が漂っているとのことでしたが、筆者は怖くて近づけなかったがこれは下校時に近道である病院内を通過させないよう、父兄や学校が流した話かもしれません。

    資料は先人の残したものやネットからも。間違いあったらご指摘そしてご容赦ください
    古老故の記憶違いやダブりなども同様に願います。

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    2022年2月13日

    古老の書付け  十六話

    筆者の子どもころの記憶など(町内と隣接地域)を思いつくままに書いているので時代は前後しますが、主に72年~62年前位(昭和24年~34年)のことです。


    十六話 大原の地名・地形 明治・大正期~

    先日大原の由来についての質問をいただきましたが、即答できませんでした。
    おそらく明治時代まではこの台地は駒沢公園含め、畑と残りは原野と少々の田んぼだったのでしょう。
    古い文章には東大原並びゴルフ場造成前のこの周辺は、昼間の通行も気持ちの悪いうっそうとした雑木林でであったと。
    当時の地図には単純に何もない野原で地図に東大原との記載があるのは昭和になってからで、それが大原に変ったのでしょう、隣の芳窪なる地名は明治期中程の地図にはすでに記載があり、地名としての芳窪は相当古くから所在していたようです。
    別の説ではチョットこじつけですが目黒パ-シモンホ-ルあたりを昔小字、原と呼んだがこちらのほうが広いので大原と。
    江戸・明治時代から伝わる歴史や文化を感じさせるものはこの地では皆無でしょう。
    だからしがらみの少ないサッパリとした地域に育ったと思います。

    目黒区は都心に近い方面から発展を始め、都立大学付近までは町並み形成が早かったようですがこの台地までは時間がかかったようで、昔は一定の規模以上の地域にあった寺や神社も都立大まで。
    昭和初年発行の碑衾村村誌にも当地のことを、玉電の音が遠くに聞こえる未開の地との記述がある。
    この地域の小字には地域の総称が東根だったこともあるのか東大原・東梶屋敷・東池渕・東芳窪・東曽根・東水窪などほとんど東がつく。
    目黒区のこちら半分・東京府荏原郡碑衾村(ひぶすまむら)全体から見たら北西なのに。
    地形は東に柿の木坂支流・西に駒沢支流と碑文谷呑川が流れその間の台地が大原で基本、水田には適さず畑地と原野だったようです。

    この周辺には駒沢村・野沢村・上馬村(上馬引沢村)・下馬村(下馬引沢村)深沢村・奥沢村など沢ばかりの地名で小流のある谷に囲まれた土地だったのでしょう。
    70年ほど前でも、医療センタ-と駒沢公園部分を除いても十中の先まで半分くらいは畑と原っぱだったし、隣の芳窪町は畑と空き地だらけで人家は芝道沿い(サミット野沢店裏手あたり)に偏っていた。
    畑ばかりの当地だが自由通り沿いの駒沢大学駅から見て右手の世田谷区側は、ずっと田んぼで、駒沢公園内の自由広場あたりまで電通グランドを含み、世田谷の中村家が所有する谷地田や畑が続いたが、田は泥深く収穫量はあまりよくなかったらしい。
    現ミニストップ隣は谷頭の湧水池で、自由通り沿いには小さな洗い場もあったそうです。
    尚、当時は自由通りはなくあぜ道程度の道とのことです。
    昭和25年頃の薄い記憶では病院と公園を除いても町内の30~40%は畑や空き地で、
    戦後の食糧難もあり東根公園は全面・医療センタ-の敷地内にも麦畑がありました。
    区道もほとんどが未舗装で太陽教育スポ-ツから下っていく区道は途中が畑で途切れていた。
    又、碑文谷警察署東が丘駐在所は筆者の知らない古くからあり、小野さんとおっしゃる子供にはとても恐ろしい巡査が勤務されてました。

    親に聞いた話ですが昭和27・8年頃は諸条件により違いはあるでしょうが、一坪あたり初任月給程度(10,000円位)でこのあたりの土地が売買されていたようです。今では初任年収ですか。

    資料は先人の残したものやネットからも、間違いあったらご指摘そしてご容赦ください。

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    2022年2月10日

    駒沢大学駅前こもれびプロジェクト解体工事のお知らせ

    町会の皆さまへ
    駒沢大学駅前の旧青山・ゲオ等入居していたIMAX1・2ビルの解体工事が2月15日より始まります。
    株式会社イマックスさんより工事詳細の連絡をいただきましたのでお知らせいたします。
    又、マルエツ・ユニクロまでの完成までには相当な年数がかかりそうです。
    その間、お足元など十分にご注意のほどお願いいたします。

     

    詳細は株式会社イマックス様のお知らせページをご覧ください。

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